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ハウスキーパーとは、男性党員と一緒に生活していた女性党員、またはシンパの女性のこと。 戦前の日本共産党の逆宣伝のために、警視庁が新聞媒体などを用いて流布した語とされている。宮本百合子はこれを次のように批判している。 戦前には、一時期非合法活動に近い場面に身をおき、戦時中には、情報局の嘱託であった平野謙は、最初のハウスキーパーは、1928年9月から翌年4月まで山代吉宗と同居した田中ウタであろうと推定し、「革命運動のために若い男女が共同生活を送らざるを得ない特殊な実態があっただけ」とし、諸資料を挙げて性的な関係はなかったことを明かしている。また「田中清玄は性的放縦に流れやすいハウスキーパー制度に対して、かなり厳しい規律を要求していた」とも述べている。 他にも宮本顕治の「日本共産党はハウスキーパーという制度というものをかつて採用したことはなかった。個々の党員が夫々(それぞれ)婦人党員と同居することは、その人達の自由であって、党は干渉しなかった。これらの党員が検挙されるとこれを様々な猟奇的歪曲によってセンセーショナルな報道をやった」 〔宮本顕治『人民の文学』岩崎書店、1947年。初出誌未詳(書き下ろしの可能性あり)。〕を引いて、「私なりに素描してきたハウスキーパー制度の歴史の実情 〔平野謙「ハウスキーパー問題」「展望」1974年9月号〕に即していない」と自己批判している。ただし、「宮本顕治のようなキレイゴトの原則論だけでは説明しきれないと思う」とも述べている。 〔平野謙「『リンチ共産党事件』の思い出」三一書房、1976年、82~86頁。〕実際、宮本顕治自身も「婦人の活動家がいわゆるハウスキーパーとなり、そこから同棲という男女関係になる場合もあった。それについての、とくに男性側の無責任な態度が一部にあった」〔『宮本顕治文芸評論選集』第1巻あとがき、新日本出版社、1980年11月。〕と認めている。また、このハウスキーパー制度は戦後も存在したとの証言もあり、当事者の鈴木慶子は「本当に青春を棒にふったような気がします」「ハウスキーパーというのは、結局使い捨てということでしょうね」と嘆いている〔『運動史研究』第4巻掲載「私は戦後のハウスキーパーだった」(鈴木慶子、聞き手=福永操、伊藤晃)、三一書房、1979年8月。〕。 確かに、当時の報道機関の中には、この「ハウスキーパー」制度を取り上げ、“共産党による、党員やシンパの女性を食い物にする性奴隷制度である”と批判したものは、指摘されている警視庁による逆宣伝あるいは、その影響かどうかはともかくとして事実存在していた。 例えば、ハウスキーパーという語自体は記述されていないものの共産党員の性関係を批判する記事は、前述する婦人朝日の記事から14年前には存在が確認できる。いわゆる左派的な思想家と考えられていた平塚らいてうは、婦人公論』1933年3月号131頁より「女性共産党員とその性の利用」と題した記事において、 という言葉から始まる「党のために犠牲となった婦人党員たち自身の性思考について」が述べられており、「新時代の新しい型の男性奴隷」であるとし、「女性としてのはつきりした自覚をもち、女性の立場にしつかりと足を踏みしめて、社会運動に参加してほしいと思ひます」と締めくくっている。 ==関連文献== *『運動史研究』第4巻掲載、座談会「ハウスキーパーの虚像と実像」出席者は原泉、福永(是枝)操、石堂清倫、宮内勇。聞き手は河合勇吉、伊藤晃(三一書房、1979年8月) 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ハウスキーパー (日本共産党)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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